母
全てを親のせいにするつもりは全くない。
両親には感謝している。不自由なく育ててくれた。特に教育の面では。
現実的な話だが将来私に借金を背負わさないと奨学金を一つも借りずに専門学校卒業までさせてくれたのは非常に助かった。
社会人になってから親の凄さとありがたみが改めてわかった。
子供の時から色々な場所に連れて行ってくれた。特にキャンプが趣味で小さな頃からたくさん体験した記憶がある。
尊敬している両親。
それなのに何故かずっと親に対して何かを
「求めて」いる。虚しさを感じる。
甘えだと思う。だけど30歳を超えた今、何となく何を求めていたのかわかった気がする。
私は親に「認めてほしかった。」
親も特別頭が良くない私に多くは求めてこなかったと思う。だけどずっと何か認められていない気がした。
幼少期、私はいつも髪が短かった。散髪は家で親がやってくれて写真の中の私はいつも毛量の多い昔風のおかっぱだ。太い身体の私は服によっては男の子のような風貌だった。
近所の同じ幼稚園の子は髪が長かった。
いつも可愛い髪ゴムをつけて三つ編みをしていてそれがとっても羨ましかった。
幼稚園のクラスで髪の長い女の子が先生に髪を可愛く結んでもらってるのが羨ましかった。
なぜ私は一度も髪を伸ばせなかったのか。
母に聞いたら「あんたは髪が短い方が似合うから」と言っていたが、後々母は子供の髪を結ぶのが苦手だったし働いていたからそんな暇もなかったと聞いた。
そして母の母、私から見て母方の祖母が髪を伸ばしている子供をだらしがないと言っていたらしい。綺麗に纏めるか切り揃えるかしないと気に食わなかったらしい。
大げさな、と思われるだろうがこれは呪いだった。子供の時から「あんたは髪が長いのは似合わない。」「ボーイッシュな方が似合う」と言われ続けていると自分の中の「髪を伸ばしたい。女の子らしい女の子になりたい」という気持ちが恥ずかしいモノのような気がしてくる。
私は小学校卒業まで髪を顎より下まで伸ばしたことがなかった。
自分はボーイッシュなキャラクターが似合う、と思い込み本当は女の子らしい女の子に憧れていたが乱暴に喋ったり、極端に短いショートカットにしたり、休み時間は男子と外で遊び、「男友達といる方が楽」なんて言ってた。
その結果、受け入れてくれる男友達もいたが影では「オトコオンナ」と言われカースト上位にいる女の子達に呼び出され「調子にのるな。」とか色々言われた。親には言わなかった。
とても嫌だった。だけど一度身についてしまったキャラはクソ狭い学校という世界では簡単には変えられない。
小学校6年の時には運動会で応援団長に立候補してみたりした。
その時にカースト上位女子から「声の大きな子が立候補してくれてよかった〜笑」と薄ら笑いを浮かべて言われたのが忘れられない。
両親はなんだか嬉しそうだった。
「ボーイッシュでやんちゃで子供らしいちょっと雑な私」を健全で子供らしい子供だと思っていたのだろう。
中学生になった。私はいじめられた。ハブられた。居ないものとして扱われた。
毎日めちゃくちゃ苦しかった。
小学校のときのお山の大将キャラは中学生になれば「変なやつ」となった。
当時は何故自分がいじめられてるのかわからなかった。今ならわかる。
浮いてたからだ。一般的に中学女子が興味を持つお洒落や恋愛の話題に何一つ乗れなかったから。異質だから。しかも元々無理したお山の大将キャラだからリーダーシップがあるわけでもなく中身がスカスカなのがバレたんだと思う。
きっかけなんてそんなもんだ。
中学1年の担任はいじめられている私に
「お前は感受性が強いから」と言った。
どういう意味だったのだろう。
私は日に日に学校に行くのが苦痛になり、教室に居ると声が出なくなって授業中に当てられても何も言葉が出せない時もあった。
よく覚えてないが耐えられないときは授業中に抜けて担任が職員室に居させてくれた記憶もある。
ある日母に相談した。母は1日だけ学校を休ませてくれた。平日に幼稚園児の弟と母と一緒にショッピングモールへ出かけオムライスを食べた。楽しい1日だった。
気分転換させたかったのかな。
翌日からは普通に学校に行った。当時よく母に言われたのは「ここで休んだら負け。くだらない奴のために人生棒にふるな。這ってでも学校に行った方が良い」だった。
絶対に不登校にさせたくなかったんだろう。
実際にしばらくしたらいじめのターゲットが変わり違う子が無視され始めた。今なら中学生なんてそんなもんだと思えるが、当時の私にとっては暗く長いトンネルをずっと歩き続けている様な毎日で、今思い返しても楽しい思い出が思い出せない。
まさに、這ってでも学校に行っていた。
でもそれで得られたものってなんだったんだろう。
中学のときの同級生は大人になった今誰とも繋がりはない。
母に私の話を聞いて欲しかった。
どんな風に無視されているのか、なぜか教室で声が出なくなることとか、小学校のとき仲が良かった子も誰も話してくれないとか、聞いて欲しかった。
1日一緒に出かけてくれるのも嬉しかったよ。
だけど、一緒に家にいて私の話を聞いて欲しかった。そして一言「辛かったんだね。」と言って欲しかった。
母ばかり出てくるが父は当時単身赴任で週末のみ会うような生活でした。
今思えば母も大変だったでしょうね。
30超えた大人が今更何を書いているんでしょうね…