最初の職場
約10年前の最初の職場。
専門学校を卒業して新卒で就職し1ヶ月で辞めた開業医院です。
元々子供の頃はその医院の患者として通っていた。優しいスタッフと先生がいて、子供ながらに居心地が良かった記憶がありそこの面接を受けました。実家からも近く通いやすいし院内も小綺麗な雰囲気。
メンバーは医師、有資格専門職2人、無資格者1人
私は専門職として入った。同期はいない。
入ってすぐ専門職の先輩2人のうち1人があと少しで辞めると聞いた。初耳だった。
即戦力を求められた。
私は容量が悪く、学生時代出来ていたはずの事も緊張からできなかった。
無資格の人は一番職歴が長く医師の右腕的存在でとにかく仕事ができて資格職の領域の仕事もこなしていた。
厳密に言えば専門職の仕事の領域に無資格者が手を出すことは違法だがこの業界は、当たり前にそれがまかり通っている。
賃金の面からも雇い主にしてみれば仕事のできない有資格者より仕事のできる無資格者だ。
その人に毎日言われた。
「専門学校で何ならった?」
「何ならできる?」
それくらい私はできなかった。態度も日に日に厳しくなっていく。
昼休みはみんな昼寝をしていた。この業界では何故か多くの職場が昼寝をする。
私もちゃっかり新人のくせに暗い控室で寝ていた。(実際は寝れるわけないしただ横になってた)
でも、まぁそんな態度が仕事のできない新人に許される訳がなく。
医師に半笑いで「キミも寝てるのか」と言われた。
翌日から毎日昼休みは自主練をした。毎日自主練をしていたら医師からは「キミみたいな真面目な人は初めてだよ。」と言われた。
今思えば嫌味だろうな。
無資格者の先輩からは「自主練するのにも材料使ってるしここは練習場所じゃない」と…
ごもっとも…
1ヶ月耐えたけど毎日昼休みもなく勤務時間は張り詰めていたのでストレスで10kg体重が落ちた。帰宅すると即ソファに倒れ込んでいた。
ソファに顔をうずめて「なんか死んじゃうかも」と心の中で思ったのをとても覚えている。
そして、ある日例の先輩に「もう(有資格者)の先輩に仕事の事聞かないで。先生にも。みんな忙しいから。」と言われた。多分いつまで経っても使えない私に嫌気がさしたんだろう。
でもその言葉を聞いた時私は、「あぁ、もう誰にも助けを求められない。やる気がないわけでは無かったのにこれじゃ誰にも仕事は教えて貰えない。これはもう辞めろということだな。」
と解釈して翌日には退職届を提出した。
医師には色々言って引き止められたが私が
「精神的にもきつくて」といった一言を言った途端にすぐに引き止めをやめたのが印象的だった。後々面倒くさいからだろうな。
そして結果、1ヶ月で辞めた。
辞める前に退職せず残ると聞いていた有資格者の先輩から「私も本当は結婚したい彼氏が県外にいるから辞めたかった。」と言われた。
申し訳ありません。だけどそんな事知りません。
超早期退職することは親は反対しなかった。
日々痩せていく私を見て心配していたらしい。
まぁ親の心境は後々聞くことになるのだが。
長くなりましたが、仕事のできない奴が技術が未熟な上に周りと上手くコミュニケーションも取れずに自分勝手に辞めていった。
それだけの話です。
就職
私は仕事が続かない。
理由はいつも結局人間関係の悪化。
いわゆるコミュ障だから。
高校卒業後に医療職の専門学校へ通い国家資格を取った。この専門学校がとてつもなく厳しくて、今まで適当に生きてきた私が散々鍛えられ、恐らく人生で一番勉強した。
そしてメンタルも今までで一番削られた。
(職種は伏せます) 就活はとても簡単だった
クラスに求人票が入った分厚いファイルが届けられて、面接を受けたい所があれば教務へ連絡。合格すれば採用される。
ほとんど開業医院なので面接もラフなものだし
クラスメイトはほとんど一発合格だった。
原則1人しか取らないので被ったときだけ落とされていた。
あんなにも必死に毎日勉強したのに
こんなもんかと呆気なく感じたのをよく覚えている。就職先が決まればその後は国家試験の勉強を急かされる。学校の教務は早く就職先を決めさせて国家試験の勉強に専念させたいのだろうな、と強く感じた。
私は専門学校卒業後、とある開業医院に就職した。
結論から言うと、1ヶ月で辞めた。
どんな職場だっただろうか…
もう10年も前の事だ。
次の記事で当時の職場の事を書こうと思う。
なぜ
ブログをはじめてみた。
ブログなんていつぶりだろう…
高校生のときに流行っていたような気がする
30歳を超えた今色々な事があった。
今までの人生を振り返ってみたかった
振り返ることで自分の中で
整理されるかもしれないから
基本的に暗い内容です。
暗い過去をネットの海に放流させてひっそりと供養します。